舞台「火の顔」
2021年3月28日
北川拓実くん(少年忍者/ジャニーズJr.)主演の舞台「火の顔」を観劇した。
「問題作だ」と思った。
そして同時に、
「この作品が問題作と評される世の中の方が問題だ」
とも思った。
「個」と「集団」とか
「自我」と「協調」とか
「子供」と「大人」とか
「男」と「女」とか
そういう、対になる言葉について考えされるお芝居だった。
この舞台も、「いまを生きる」みたいに、100人いたら100通りの感想が生まれる舞台だと思います。下に記すのはわたし個人の感想であり、その他の意見を否定するわけでも、これだけが正しいと思っているわけでもありません。
そして先に断っておくと、ものすごく薄っぺらい感想です。1公演しか観ていないものでして…すみません。観劇してない人には何が何だかさっぱり?な文章かもしれません。でも、とにかく、今の感情を残しておくために、記憶があるうちに書き留めるために、書きます。
印象に残ったシーンが二つあって、どちらも翻訳の大川珠季さんがTwitterに全文載せてくれているので(ありがとうございます)引用しつつそれについて。
わかんない。私、どこへ行ったらいいの?何時間も鏡の前に立っていると、この顔を剥ぎ取りたくなる。だって、自分の体をいっぺんに見られない。体をよじったり、顔を歪ませたりして、鏡を二つ使って見つめてみる。でも見えるのは、体の一部だけ
交差点の真ん中で、ふと自分に出会うことがある。誰か、私とそっくりな女の人がいる。浮腫んだ目で、その私を食い入るように見つめていると、窒息するくらいに息が苦しくなる。目配せしてみることもあるけど、変な目で見返してくるから、怖くなって震えてしまう
私は、ほかの人と変わらないように見える。この街には、少なくとももう一人、私がいる。
(大川珠季さんのツイートより引用)
中盤だったかな?拓実くん演じるクルトのお姉ちゃん、オルガの台詞。
この一連のお芝居、震えましたね。オルガはWキャストで、わたしが観たのは小林風花さんの回だったのですが、本当に凄かった。
わたしもね、言ってもまだ20代前半だから、時々考えるんですよ。
「わたしがやりたいことってなんだろう」とか。
「自分らしさについて」とか。
この世に自分は一人しかいない、それは事実なんだけど、
社会に放り込まれたらただの歯車で、代わりなんていくらでもいるんです。
「わたしじゃなくても成立する」関係の中にいるときって、それを意識した途端に急に恐ろしくなったりさ、するじゃないですか。
他者との関係性に価値を見出すことが不安定で危ういなら、自分が自分であるためには、自分個人に価値を見出さないといけないってことになると思うんだけど、自分を客観的に眺めるのって本当に難しいじゃない?だって、オルガの言う通り、体をよじったって、顔を歪ませたって、見えるのは自分の一部だけなんだもん。
だからみんなふとしたときに苦しくなると思うんだよね。
頑張ったこととか、褒めてほしいこととか、生きてれば一つや二つ、あるでしょう?
それに対して他人から評価を受けられなかったときに、自分で自分を評価してあげるのって、簡単にできないから。
(そこには足並み揃えないと白い目で見られる日本の風潮も関係していると、思う。)
そして、多くの人が自己肯定感を一定以上に保つために、試行錯誤した結果が今のSNSの使い方だとも思う。
(とはいえSNSが原因で苦しくなる人もいる。本末転倒。生きるのマジでむずい。)
オルガのお芝居を観て、最後に
「この街には、少なくとももう一人、私がいる。」
と言い放つ、その台詞を聞いて、そんなことを考えてしまいました。
なんて曖昧な感想なんでしょう(笑)二つめ行きますね。
僕は生まれた時のことを覚えてる……「生きてる」って!「生きてる」って、お前たちが想像してるのとは全然違う。人間は一つの機械だ。燃料を燃やして動いている。熱を生むんだ。燃え続けている間だけ、人間は生きられる。死んだ人間は冷たい、もう燃えていないから。
死んだ人間は冷たい、もう燃えていないから。熱、炎、これが生物学的原則。お前らが考えてるのとは全然違う。お前らは他人との関係性でしか判断しない。別の見方ができない。自分は他の人間に影響を与えている、だから自分は存在しているんだと考える。そんな考えは、クソだ。クソだクソだクソだ
いまお前たちに見えているのは、他人だけだ。お前たちは消える。そう。お前たちはいつかどんどん薄くなって、やがて消えてなくなる。自分が誰か、誰が他人かもわからなくなる。お前らは間違えてる。全然違う。関係は切らなくちゃならない。そして一人になるんだ。分断しろ。
バカな奴らから自由になれ、全部閉じ込めろ、外の世界を感じる目と鼻は、もういらない。ただこの手に武器さえあればいい。近づいてくる奴はみんな、怒りに焼かれると思え。口を閉じろ。耳を塞げ。ぶちかませ!(消防車のサイレンが鳴り響く)
(大川珠季さんのツイートより引用)
これは拓実くん演じるクルトの台詞。
一つめに引用したオルガの台詞と並べるとやっぱり面白いな。
「お前らは他人との関係性でしか判断しない」
上に書いたけど、その通りなんですよ、だからグサグサくるんだ、この台詞たち。
ワンクリックで知りたい情報のほとんどが手に入るこの時代、
自分の意見なんてなくても、のほほんと生きていくこと、できるじゃない?
他人とうまいことやっていける、という注釈つきにはなるけど、実際そう。
全然知らない他人の意見を自分の意見かのように話すこと、簡単にできちゃうもん。
ネットって便利だけど怖いよ。
でもそれって、本当につまらない人生だなって、わたしは思う。
自分が見たもの触れたものに対して感じたことを、自分で消化しないのもったいなあって。
難しくても、少しでも、一言でもいいから、自分の言葉に落とし込むのが大事なんじゃないかな、ってずっと思ってるし、それゆえこのブログ書いてるんです。
だから、クルトが言ってることはね、わかる。
わかるんだけど、でもちょっと、クルトは過激すぎて共感できませんでしたね。笑
他者との関係性だけを見て生きていくことに嫌悪感を抱く気持ちはすごくわかるし、わたしもそうだけど、完全に「個」の世界に閉じこもるのは違うじゃん?って。
世間の風潮とか、強い人の意見とか、そういうのに流されないで生きていたいと思う。
でも、空気を読まずに、自分勝手に、好きにやるのとはまた別の話で。
全ては加減の問題ですね。「過激」なのは何事に関しても良くない。
文頭に「問題作だ」と書いたのは、初見の衝撃が大きすぎて、
「こんなのを17歳の男の子が(しかもジャニーズが)主演していいの!?」
と思ったから。(本当に衝撃だったし1回しか観られなかったの悔しい)
そして「この作品が問題作と評される世の中の方が問題だ」と書いたのは、
「言いたいことが言えない」とか
「好きなものを好きと言いにくい」とか
「自己表現がしにくい」とか
そういう世の中じゃなくなれば、もうちょっとみんな生きやすいんだろうな〜と感じるからです。なんだかうまくまとまりません!許して!
他にも色々思うことはあったんだけど、頭どかーん!と打たれて考えたことはこんな感じです。
お芝居や演出についてはど素人のわたしに言えることは何もないけど、ドイツ演劇、面白いな〜って思いました。テーマも、お話の内容も、ものすごく重たいのに一切泣けないの、わたしにとってものすごく新鮮で、新しい世界の扉!って感じだった。深作さんの次の舞台も観に行きたいな〜
「火の顔」観た人、ぜひ感想お聞かせください。
読んでくれた人、ありがと〜〜〜!
2021.4.11 みず